最近の『虎に翼』を見ていて思うのは、モデルの三淵嘉子と大分違うなー。ということ。
裁判官編になってからも、女性は差別されてきたんだよ。 男性は下に見ていたんだよ。という演出が行き過ぎている節がちょっと残念です。
「女性であるという自覚よりも人間であるという自覚の下に生きてきたと思う」(本人談)
晩年に残した言葉です。 1984年に亡くなっているので、80年代あたりの言葉と思われます。
40年近くも前に、今にも通じる性別に囚われない公平、平等とは何かを考えていたことに驚きです。
さて、本書は以下のような方にオススメの1冊です。
・ドラマで男性が敵扱いなのにモヤモヤする。という方。
・ドラマを見にくいと感じている男性の方。
・性別やジェンダーに関する内容に興味のある方。
・法制史の視点から三淵嘉子という人物を見てみたい方。
著者は男性で法制史研究をされていた方ですが、特定の性別への偏重は感じられずに当時のジェンダーの捉え方を知ることが出来ます。
あとがきで差別とは何かを考えさせられた著者自身の経験について触れられていますが、これは女性の私自身も考えさせられたものでした。
三淵嘉子の生涯に関しては必要最低限触れている程度なので、そこから知りたいという方は以下の1冊を読んでからの方が理解しやすいかもしれません。
あさイチの朝ドラ受けでも、良い男性キャラが出て欲しい。という声があったそうで、男性がただの悪者で見ているのがキツいということなのかもしれません。
他の書籍を読んだ際にも感じたことですが、三淵嘉子という人は、権利を得ることは責任を伴うことでもあることを当時から気づいていた人物だったと思います。
「初めて民法の講義を聴いたとき、法律上の女性の地位の余りにも惨めなのを知って、地駄んだ踏んで口惜しがっただけに、何の努力もしないで、こんな素晴らしい民法が出来ることが夢のようでもあり、又一方、余りにも男女平等であるために、女性にとって厳しい自覚と責任が要求されるであろうに、果たして現実の日本の女性がそれに応えられるであろうかと、おそれにも似た気持を持ったものです。」(本人談、原文ママ)
「職場における女性に対しては女であることに甘えるなといいたいし、また男性に対しては職場において女性を甘えさしてくれるなといいたい」(『女性法律家』より抜粋)
他にも事例には枚挙にいとまがなく、裁判官として赴任した当初に上司の裁判長(近藤完爾)から、
「あなたが女であるからといって特別扱いはしませんよ。」
と言われたことを当然と受け止め、後に「私が最も尊敬した裁判官だった。」と語っています。
実際、実務経験の浅い嘉子を気遣って合議制の裁判を多く任せたりと配慮はありましたが、女性であることへの配慮ではありませんでした。
特別扱いもしないが、差別もしない人物だったからこそ尊敬出来たのでしょう。
戦時中までは女性の地位の低さや平等に関心を抱いていたものの、戦後裁判官として働いていく過程で性別を越えた一人の人間としての平等を考えていくように変化した印象があります。
ドラマだとあまりそこが描かれないのが何というか、もったいない。
せっかく、今にも通じる性別に囚われないで差別とは?平等とは?ということを考えていた人物なのに、、、
嘉子に限らず、この時代に女性の地位向上に尽力した女性たちは、「私たち女は差別されてきたんだからもっと良い思いをしても当然だ!」「理解してくれない男は敵だ!」という姿勢でいたとは到底思えません。
そういう姿勢で男性中心の組織や体制で支持を得て、女性が法曹界を切り拓いていけた訳はないと思います。
自分はつらい思いをしてきたんだから、もっと良い思いをしてもいいはず、
そんな主張が見え隠れしていると男女関係なく何か違うよなぁ。と感じてしまうんですよね。
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